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浅田真央ちゃんが好きです宣言 [フィギュアスケート]

浅田真央バナータオル

プロフィールや自己紹介の記事にも書いたように、浅田真央ちゃんが大好きです。

もちろん、フィギュアスケート自体もとても好きなんですが、浅田真央ちゃんが特に好きなのです。

どの位好きかというと、旦那曰く
変態レベル
だそうです。

最近の私の行動をご紹介すると

真央ちゃんが着ていた服を自分の体型を考えずに買って着る
真央ちゃんが持っていたバッグと同じものを買って使う
真央ちゃんが座長のアイスショーに行き、アンケートにびっしりと感想と要望を書いて出す
アイスショーで名古屋に行った時、真央ちゃんがいないにも関わらず、名古屋時代の練習場所を見学して満足する
ついでに、大須観音に行ってみて、ここでテレ朝の取材にエアロ(真央ちゃんの愛犬)と答えてたなーとシミジミする

書き連ねると、そんなでもない気がするんですが?

その他の行動もご紹介すると

浅田真央本は全て購入、読破済み
(雑誌はほぼ買わないです)
試合には手作りバナー持参
真央ちゃんの公式ホームページと舞ちゃんのTwitterを日々チェック
エアウィーヴを始め、真央ちゃんのスポンサー関連の商品を買う(今は、アルソアでせっせと美容に勤しんでおります)
試合観戦資金を調達するため、本気で資産運用を勉強し始める

こんな感じです。

私は元々、フィギュアスケートが好きではありましたが、当時は男子とダンスが好きでよく見ていました。
なので、正直女子はほぼ見ていませんでした。

そんな時に、綺羅星のように現れた真央ちゃんは、まさに私の理想の女子フィギュアスケーターだったんです。

ジャンプも飛べるのに、美しい表現力もある。スタイルも良い。
何より、圧倒的な華のある存在感。
それでも、最初の頃は試合会場にまで行って応援したいとは思っていませんでした。

かなり好きになったのは、トリノ五輪からバンクーバー五輪にかけてのアレコレにも負けず、愚痴の一つも言わずに頑張る彼女を見てです。
その中でも、決定的だったシーズンは2007-2008年のシーズンでしょうか。

このシーズン、何より色んな意味で衝撃的だったのはSPです。
このシーズン初めて、タチアナ・タラソワさんが振付けをしました。
何とタラソワさん自らが真央ちゃんの演技を見て、振付けをしたいと申し出てくれたのです。

曲はヴァイオリンと管弦楽のためのファンタジア。
映画、ラベンダーの咲く庭での劇中に演奏される曲です。
このプログラム、当時では考えられないほど難しいステップが組み込まれていました。
これ以降、ステップで魅せようとしているプログラムが増えた気がします。

真央ちゃんは前年からアメリカに拠点を移し、ソビエト連邦出身のコーチに教わっていました。
私はこのラファエル・アルトュニアンコーチも大好きでした。
松岡修造氏から
「真央ちゃんの武器って何ですか?」
と、3Aだよという返答を期待した質問に
「真央の武器は美しさだ」
と答えてくれていたんです。

この年、拠点にしていたカルフォルニアは大規模な山火事があったそうですが、真央ちゃんも巻き込まれます。
火事は放火が原因だったそうです。
この火事で練習リンクが一時的に閉鎖してしまった真央ちゃんは、アメリカのリンクを転々として、落ち着いた練習ができないまま、試合を迎えます。

GPSのカナダ大会に出場した真央ちゃんは、何とか優勝します。

続いてフランス大会(エリック ポンパドール)に出場した真央ちゃんは、SPで最初の3回転3回転ジャンプに失敗してしまいます。
GPSのSPは滑る順番が世界ランキングで決まり、上位の真央ちゃんは最終滑走でした。
キスアンドクライで既に泣きそうな真央ちゃん。
点数が出て1位にも関わらず、笑顔を全く見せませんでした。
KISS and CRYを出た真央ちゃんは、とうとう泣き出してしまいます。
30分間は泣いていたそうです。

この様子は、試合の翌日にテレ朝で放送されました。
その番組のコメンテーターだった美輪明宏さんは
「何で泣いてるんですかね?1位なのに」
と聞かれ
「凡人にはわからないのよ」
とおっしゃっていたのが印象的でした。

実はSPの3回転3回転ジャンプが、2007年の世界選手権からずっと失敗続きだったのです。

真央ちゃんはFSでは3Aに失敗したものの、3回転3回転を決めて1位を守りフランス大会も優勝します。

2007年GPFのSPは、最悪の結果でした。
3回転3回転ジャンプは回ったものの失敗、続いてステップからの3回転ジャンプは、跳ぶ前につまづいて跳べず。
その他の要素は素晴らしいものでしたが、得点源のジャンプは目も当てられない状態でした。

2007年のトリノGPFのFSは、数ある浅田真央の伝説的な演技の中の一つだと思っています。
そのシーズン一度も決まらなかった3Aを何とか決め、続いて初めて投入した3回転3回転も成功。前日には跳ぶことさえできなかったジャンプも決めました。
前日に失敗した3回転3回転も難なく決め(しかも演技の後半)、続いて素晴らしいステップを踏みました。

最終的には最下位から2位まで追い上げました。

ただ、この時の点数にモヤっとして、ネットサーフィンの旅に出てしまったのは、私だけではないはずです。

さて、跳べるのにどうしてもSPで3回転3回転が決まらない。
その次の試合は世界選手権の出場をかけた、全日本選手権でした。
真央ちゃんは気分を変えたいと、衣装の変更をお願いし、姉である舞ちゃんの衣装を着用します。
結果、SPを失敗なく決め、FSもまとめ、優勝しました。

試合はもちろん日本で行われました。
本当は試合後にアメリカに戻ってくるはずだったのに、戻って来ずコーチは激怒します。

当時の放送では、ホームシックと言われていましたが、実際はお母様の病状が悪化したことが大きな理由の一つなようです。

お母様が亡くなってから、2008年までコーチだったアルトュニアン氏は、海外誌のインタビューに答え、真央ちゃんと契約解消したことをとても後悔していることを告白しました。

電話で、真央は私にこちらに来てくれないかと言った。
それはできない、と答え、戻ってくるのか、来なければ終わりだという厳しい条件を突きつけ、我々の関係は終わってしまった。
ちょうどその頃、真央の母親が癌であると診断されたことがずっと後になって分かった。真央と家族はそれを周囲には秘密にし、私にも誰にも言わなかった。
私はあの時に、日本に行く時間を作るべきで、理由が分からないのに決断をしてはいけなかったのだ。

っていうようなことを答えています。

アルトュニアン氏はくたびれた感じのおっさんだったけど、いいこと言ってくれるんですよね。

そんなコーチとは、今では誤解が解けて、何年か後のJapanOpenという試合では、普通に会話していたのを、会場にて目撃し、嬉しかった人達は多かったはずです。

話を戻します。

2008年最初の試合、韓国で行われた四大陸選手権に、アルトュニアンコーチは来ませんでした。
理由は明かされないまま、試合は行われました。

この試合では、3Aの成功に焦点が置かれていました。
SPが成功し、残る課題は完璧な3Aをまだこのシーズンに決めていないことでした。

FSでは見事な3Aを決めました。
男子の解説者だった本田武史さんが「素晴らしい3A」と、女子解説者を差し置いて、思わず呟いてしまったほどです。
この試合では圧倒的な強さで真央ちゃんは優勝しました。

その後、真央ちゃんとアルトュニアンコーチがコーチ契約を解消したとアナウンスされました。

世界選手権まで一ヶ月ほどに迫ったある日、真央ちゃんは練習中に怪我をします。
左足首の靭帯損傷です。
症状は思ったよりも悪く、世界選手権の出場さえ不透明となりました。
誰よりも悲しんでくれたのはお母さんだったそうです。
真央ちゃんは
「1週間で治すから」
と言って、練習に戻ったのです。

最初の週は氷にも乗れず、陸上トレーニングのみで過ごしました。
次の週に痛みが残りながらも、氷の上へ。
しかし、ジャンプは1回転から少しずつの練習でした。

多分、この頃、フジテレビの番組でTOKIOの国分太一さんのインタビューに答えています。
「怪我をしたらしいですが?」
「もう全然大丈夫です」
と答えていました。
しかし、ジャンプ練習は公開されず変だなと思ったことを覚えています。

さて、2008年の世界選手権はスウェーデン イエテボリで行われました。
怪我のため、真央ちゃんは直前に現地入りとなりました。
理由を知らない我々ファンは、何故そんなにギリギリなのかと焼きもきしていました。

SPプログラムは完璧でした。
素晴らしい3回転3回転に、その他のジャンプ。
素晴らしいステップ。

演技後、海外のリプレイではそのステップをフルで流して絶賛していたとか。
そう滅多にあることではありません。

現在アメリカの人気解説者であり、当時は現役選手だったジョニー ウィアー氏(女史?)は真央は別格だった、というようなことを言ってくれています。

さて、この大会はそのまますんなりとは行きませんでした。

真央ちゃんは絶好調の様子で、直前の6分間練習では、それは見事なジャンプを次々と決めていました。

そして、真央ちゃんの滑走になりました。
3Aを跳ぶ!という瞬間に身体は跳び上がらずに、氷に落ちていきました。

私も早朝から生放送を見ていて、うそー!と叫び、家族を起こしてしまったのを今でも覚えています。

立ち上がった真央ちゃんは、次のジャンプのために演技に戻りました。

私はその時不安でした。
次のジャンプは3回転3回転で、このシーズンに初めて投入し、まだ完璧とは言えない出来だったからです。

しかし、予想は覆りました。
それまでで一番のでき、女子選手の中でもトップの出来とも言えるジャンプを跳んだのです。
その後にもう一度、別の3回転3回転も決めました。

後の演技は完璧でした。

演技が終わると、観客は総立ちで拍手喝采で大盛り上がり。
真央ちゃんは声援にこたえるとともに、ああと言うように天を見上げました。

キスアンドクライでは、最初は涙を堪えているように見えました。
本人は大失敗してしまったことで、とても優勝などできないと思っていたのでしょう。

1位と表示された瞬間。
ビックリした真央ちゃんの表情。
再び大歓声とともに飛び上がって喜ぶ観客たち。
その差は僅か、0.88。
諦めない心が生んだ勝利でした。

真央ちゃんは潤んだ目で電光掲示板を見上げていました。

キスアンドクライを降りた真央ちゃんは、マネージャーさんと裏で抱き合い泣いていました。
その涙を見て、一緒に泣いてしまった方もいるはずです。

カナダの解説者だったカート ブラウニング氏は真央ちゃんの演技後に、こんなことを言っていました。

家で見ている子供達。
この演技を録画しているでしょう。
スケーター達が最初のジャンプに失敗して、音楽をとめて最初からやり直す。
そんなのを何度も見てきた。
これがあるべき姿だよ。

ちなみにカート氏は前日のSP後には、真央ちゃんの顔が映ると
「僕はファンなんだ」
とか言ってました。
許しがたい職権乱用です。

最後までやり遂げる強い心と、それを支えてくれる温かい周りの人たちがいる。
真央ちゃんが愛される最たる所以でしょうか。

我が子もできたら、愛される人に成長してほしい。
それは、いつも考えてしまいます。

その後、2008年の韓国GPFで優勝し
「勝ってはいけない試合で勝ってしまった」
みたいなことを伊藤みどりさんが言ったとか言わなかったとか。
その後から急に解説として伊藤みどりさんが出なくなったので分かりませんが。
その後の色々な出来事もありますが、この辺りにしましょう。

真央ちゃんの凄いところは、その大変な舞台裏が、本人から語られることがなく、すべて取材によりずっと後からわかることです。
特に、お母様が亡くなられてビックリした人は多かったのでは?

私は病で家族を亡くしているので、一緒に暮らす家族が居なくなる辛さが分かります。
ただ、両親は健在なので、子供にとっての母親の存在を考えると、とても比較にならないだろうなと思えます。

思うことといえば
ソチ五輪の真央ちゃんの演技はもはや伝説です。
ほぼ同じ年齢の演技というのいうことで、荒川静香さんのトリノ五輪→真央ちゃんのソチ五輪の順で見比べてしまうと、色々と思うところが出てきちゃいます。
「もし」をいっても仕方ないことは分かっていますが、これはちょろっと漏れた本音です。

フィギュアスケートでの人気というのは、競技の結果ではなく、まさにその人柄を演技の内容に感じるからなのかもしれない、と真央ちゃんを見て思います。

海外の解説者は真央ちゃんの演技中に言います。
彼女は特別、唯一無二の存在だと。
真央ちゃんが休養していた時、とても実感しました。

そして分かったこと。
この記事のボリュームこそ、私が変態だという証かもしれない、と。
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